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焼津魚河岸の歴史
焼津魚河岸シャツの歴史
昭和の初め頃には、手ぬぐい5枚でつくる手ぬぐい襦袢
(写真)として魚加工の仕事場などで着られていた。
戦前から戦後にかけて、手ぬぐいやお年賀や贈答品として
船元や商店などの名を冠したものが配られていた。それらを
女衆がシャツとして仕立てたものが魚河岸シャツの原型といわれる。
その後、ゆかた生地などでも作り、焼津シャツ(写真.浴衣シャツ、手ぬぐいシャツ)として広く夏のシャツとして着られるようになる。
中でも豆絞り柄に魚河岸シャツやロゴ(写真)マーク(写真)のはいった
柄が多く見受けられるようになる。
中でも、豆絞りの柄(写真)に魚河岸シャツのロゴのはいった柄が多く見受けられるようになる。
そして、2005年(平成17年)に‘クールビズ運動’が始まり、沖縄の‘かりゆしウェア’とともに焼津魚河岸シャツがテレビ等で取り上げられ大変、注目を集めるようになった。
※公民館の講座やカルチャースクールなどでも、魚河岸シャツ講座や教室は連日、満席となった

手ぬぐい襦袢

浴衣シャツ・手ぬぐいシャツ

豆絞り柄


魚河岸シャツ ロゴ
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